黎明日和

気の向くままに、書きたい事を。

血のにじむような努力とは。

相も変わらず創作やらなきゃって意欲というか呪いと、何やっても無意味という呪いの狭間でヘラっておりますがなんとか生きてます。

 

今年の春アニメがなかなかに豊作で、それを楽しみにとりあえず生きてるって感じ。

SSSS.DYNAZENON』や『Vivy-Fluorite Eye's Song-』は全く先の読めない展開で毎週楽しみだし、『シャドーハウス』のエミリコも健気で可愛い。

 

と言いつつ、今日話題にしようと思った作品は

『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』だったり。

 

異世界転生ものの中でも、『平凡なスローライフを望んで異世界に転生したら、不本意なチート能力のせいで厄介ごとに巻き込まれる』系のストーリーが結構好みなんだなと最近気づいた。

私、能力は平均値でって言ったよね!』や、異世界ものじゃないけど『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』等を楽しんで見ていたので、その系譜なのかな。それにしてもタイトルの長い事。

 

キャラも可愛いし話もテンポよくて面白いので、試しに原作も読んでみようと一巻を買ってきて少し読んだのだけど、そこでふと思ったことが。

 

『スライム倒して300年』の主人公アズサは、5年におよぶ社畜生活の末に過労死し、異世界転生を果たしたという過去を持っており。転生先でアズサは不自由のない環境で、やりたい事とできる事だけをしながら悠々自適な生活を送っているのだけど。

 

にも関わらず、結構な頻度で社畜生活を思い出して辛かったとこぼしていたり、後悔してるような描写がかなりの頻度で見られるんですよね。彼女にとって社畜生活は300年も前の出来事であり、さらに言えばその期間に対して社畜生活はわずか5年間しかないにも関わらず。

 

自分が鬱を発症するきっかけになった旧職も期間で言えば半年程度だし、それですら10年近く引きずっているからそういうもんなのかなぁ、と妙な親近感を覚えてしまうのだった。

 

やっぱり辛い記憶って言うのは何年経っても忘れられず思い出してしまうものなんですかね。300年はないにしろ、十何年か経っても簡単には忘れられないだろうなぁとは思う。

 

まあ、そんな背景を背負ったアズサの言葉ですごく印象的だったのがあって。

 

『血のにじむような努力』という言葉に対してキッパリ言い切った、

『血のにじむような努力は人に見られる事を前提としている』という言葉。

 

つまるところ、『人の評価を気にしながら行動しても、耐えられなくなったりやる気がなくなったりするよ』って意味合いであり、自己啓発本やメンタル回復を謳った記事で幾度となく目にした説教であるのだけど、アズサのこの言葉は凡百のアドバイスよりも遥かに強く、かつすとん、と心に残って受け入れることができたのよね。

 

やっぱり物語作品の力って凄いなぁと改めて思い知らされる次第。

理論立てしながら範例をあげつつ長々と述べられる学者の言葉よりも、魅力的なキャラクターの一言の方が深く心に残るのだから。

 

今回はたまたま気が向いて記事に起こしているのだけど、多分これまでもずっと、好きな作品の、魅力的なキャラクターのたった一言で考えが変わったり、救われたりしてきたんだろうなと思う。

 

書いてるうちに思い出したんだけど、トロピカルージュ!プリキュアでキュアコーラルが言った『自分の可愛いを信じる』にも救われたなぁ……と感じたりしたので機会があればそっちも記事にするかもしんない。

 

 

それにしても……今になってようやく『異世界転生もの』が流行る理由が分かった気がする。

現代のストレス社会から抜け出して、無敵の能力で大活躍したり、あるいは悠々自適な生活を過ごしたいって思うのはかなり共感される題材なんだろうなぁ。