黎明日和

気の向くままに、書きたい事を。

デュエリストと思った相手が宗教勧誘だった件。

実在するんですね。遊戯王やってると語りながら宗教勧誘してくる人。

振り返ると『うわめっちゃ危ない橋渡っとるやん』という感じだったので自戒込めて書き残しておきます。

 

ことの始まりは二週間前。カード屋で30円ストレージを見てた時の事。

「もしかして○○さん?」と『彼』に声を掛けられる。

自分の容姿や身に着けていたリリカルなのはのバッグから友達だと判断して声を掛けてきたと『彼』は言った。

それから遊戯王の話になり、世代の話とか、使ってるデッキの話などし、「今度デュエルしましょう」と約束し、LINEを交換。

うっすら「もしかして宗教?」とも思ってはいたものの、『彼』のフレンドリーな姿勢で警戒心が下がっていたんだろうなぁ。

 

そして今日。先述したカード屋で偶然にもその『彼』と遭遇。前回『彼』は一人だったのだけど、今回は連れと二人組。

「時間あります?」と声を掛けられ、特に用もなかったので了承。

カード屋を出て、ぶらぶらとしゃべりながら街中を闊歩。

最初は遊戯王の話題、先週出た新作の話で盛り上がってたのだけれど。

だんだん「お仕事は?」「出身地は?」等、こちらのプライベートにまつまる話にシフトしていった。

 

そして、「なんとか(聞き覚えのない単語)ってご存知ですか?」と出た。

 

この瞬間「宗教だったか」とようやく察する。

自分の警戒心がガバガバなのだったのもあるんだろうけど。

今思い返すと、こちらの話に対して共感してきたり、こちらをヨイショしてくる感じの言葉が多かったので、相手の警戒心を下げる話術とか教え込まれてるのかもしれない。

 

そして、あれよあれよという間にある民家の前に到着。

「15分ほどだから」と上がるように促される。

ここまで来てしまった手前、不自然に理由着けて断ることもできず、下手に反論して揉め事になるよりは……と思い、警戒しながらも民家へとお邪魔することに。

いやあ、今思うと危ない橋渡りましたね……

 

立派なご神体のある部屋に通され、正座。

数珠と有難いお経が書かれた冊子を渡される。

ご神体に向けてご挨拶をする流れになったのだが、その前に「住所と電話番号を教えてくれ」と。ご神体に隠し事は云々かんぬんとか理由つけられて。

それまでの会話で住んでる地域とか話してしまったことを後悔しつつ、番地などをデタラメな数字に置き換え、伝える。バレたらどうしようかと内心ヒヤヒヤしながら。

 

そっから15分くらい、ご神体の前でお経を唱える『彼ら』。

正座して無心(なにもかんがえていない)でお経を真似して唱えてながらお付き合いしました。なんという虚無。

 

運が良かったのか、荒波たてずに付き合ったのが幸いしたか「このお経を毎日朝晩やりましょう」と言われただけで終了。

何かにサインする事も、壺を買わされるようなこともなく、謎の数珠と謎の冊子を持たされて民家を後にした。建物を出た時のホッとした感は異常。

 

その後、地元の駅まで歩きながら『彼』はとても饒舌に宗教のすばらしさについて語ってくれました。

死んだあと遺体が白くなる人と黒くなる人がいるらしい。

 

駅で別れ、「何事もなくてよかった~~~~~~~~~」と安心し、帰宅。

もらったチラシを見て『顕正会』の文字を見つけ肝を冷やすのであった。完。

 

いやぁ、話には聞いていたんだけど、本当にいるんですね。

騙された!とかそういう怒りは湧かないし、何を信じるかなんて人それぞれ好きにしたらいい。

後に残ったのは「勉強になったなー」という思いと、哀しさと憤り。

 

哀しかったのは、遊戯王をはじめカードゲームをダシにして勧誘する人が本当にいるという事実。

普段、限られた友達同士としかデュエルしていないので、別のデュエリスト仲間ができるかも、と思って嬉しくなったのは事実。

今日カード屋に行ったのも、『彼』とのデュエルで使おうと思ったデッキに必要なカードを買う必要があったからなんだよね。それがまさかこんな形で裏切られるとは、ね。

 

憤りを覚えたのは、自分の生きてきた時間を否定されたこと。

虚無のお経が終わった後、これを毎日朝晩、10年以上やり続けていると言っていた『彼ら』。

へーすごいなーと思いながら聞いていたのだけど。

「10年なんてあっという間ですよ。貴方は10年前何していました?それから今日まであっという間だったでしょう?」

「なんなら生まれてから今までの人生なんて、あっという間に過ぎてしまいましたよね」

 

その言葉に内心、凄い憤りを感じたんですよね。

人間関係で苦しみ、鬱で病み、創作活動で悩んできた人生を「あっという間」の一言で片づける権利が、お前にあるのか、と。

逆に自分でもこの憤りには驚いた。

毎日のように「自分の人生なんて意味なんてなかった」と思い込んでいたのに、いざこういう場になった時、このような感情が湧き出てくるのだから。

 

正直、この思いに気付けただけでも今日の出来事は有意義だった。

まあ、『彼ら』と二度と交流したくはないけれど。

 

明日はトロプリ映画の感想書こう。